Travel Kurarin

旅行ガイドブック出版社サラリーマンの旅のメモと青年海外協力隊(2018年1次隊、ミクロネシア チューク州 観光)のメモ

青年海外協力隊 ミクロネシア 1ヶ月目を振り返って。

6月26日に日本を出発して、首都でのオリエンや総会を過ごし、7月7日にチュークに赴任した、7月が終わった。最初の1ヶ月目を振り返ってみる。2年間の任期まであと23ヶ月。

 

最初に過ごした首都では、後にチュークのほうがもっと悪いことを知るが、ネットの遅さに驚いた。物資はけっこうあって、古着屋があったり、スーパーには値段は高くても日本製品が並び、お刺身はすごく美味しくて、ご飯は心配いらないかなと感じた。先輩隊員たちとの飲み会も経験したが、仲良くなっていけるか不安になったし、盛り上がっている理由がわからなかったり、ウケるポイントがわからなかった。もともと、日本でも飲み会は苦手だったし、よくわからない盛り上がり方をするのができなかったので仕方ないけれど、数少ない頼れる人たちであり、上手く付き合っていけるだろうかわからなかった。(今でもわからないけど)

 

シニアボランティアが多いミクロネシア。正直、シニアボランティアとの付き合い方がわからない。金とよくわからない経験にものを言わせて虚勢を張っているだけに見えることも多く、車の運転をしてくれたりするのはとても助かるが、果たして学ぶべき部分があるのだろうか。まぁ、専門が同じ出ない限り仕事上の学びはないだろうが、年の功としての人付き合いとかそういうのは時間が経たないと魅力がでてこないのかもしれない。駒ヶ根訓練所でも感じたが、シニアボランティアは苦手だ。歳が離れているので仕方ないと言えばそれまでだが、距離感とか話の内容とかが合わないことが多々あった。生活班にいたシニアボランティアはほとんど話さなかった。そういった人と仲良くできる同期隊員が羨ましく思えた。それでもミクロネシアに派遣される同期のシニアボランティアは別で、とても好きだと思える人物だったことは幸い。今までの人生の中で、同期なんてのはたまたま時期がかぶっただけの存在だと悪いことしか考えてなかったが、ミクロネシア同期は良い人達に恵まれたと思う。

 

総会での発表、オリエン、手続き、ルールの説明など、無駄なものがたくさんあることにイライラしていた。それ自体に本質があるわけではないのに、それ自体が本質になっているケースが日本でもよくあるが、まさにそれ。公人という立場、税金での事業を考えると仕方ないし、自分が自治体営業をしていた時はそれらがネックになって面倒くさい思いや行き場のない怒りを感じたことも多い。そう思い返せば仕方ない、と諦めがつく。でもその諦めが何度もあると、自分の感覚まで狂ってきて、なんでもどうでもよくなってくる。そうやって本質が消えて、建前になったり、目的がすり替わったりするのだろう。

 

任地への赴任はとても寂しかった。まだ10日しか経っていないが、その時点で同行する現地人の職員への俺の評価は最悪だったし、英語が全然通じないことにショックもあった。実際、チュークに来て約1週間は職員と同行して回る中で、逆に不安が広がることばかり。それでも最低限のことはやってくれたので感謝すべきだろうか。彼はこの州出身ということもあり、顔は広い。彼のおかげで色々なところには挨拶にいけた。でも彼は午前中に仕事を終えて昼間から酒を飲み、俺には外出するなと強く言い、放置して友達と遊ぶ。飲酒運転は余裕でするし、この出張の最終的にはホテルで騒ぎすぎて警察に連行されたらしい。しかし、10年も働いていてこの体たらくだ。過去の隊員のブログにも批判的なコメントを見たことがあるし、何も変わっていないのだろう。技術移転を目的としているこの事業が聞いて呆れる。そして同時に現地人の持つ文化や考え方を変えることの難しさを感じ、本当に技術移転なんて可能なのだろうかと不安になる。

 

タイミングが悪く、最初に出勤した週は所長が出張で不在で、オフィスには仕事の雰囲気はゼロ。カウンターパートという制度は実質なく、職員は俺入れて3人しかいない。過去の隊員のレポートを見ると、マンパワーとしての働き方が大きいというのもすぐわかった。この時、職場には高校生のインターンが5人くらい居て、彼らは特になにもせずずーっとネットをしている。もうひとりの職員は電話したりフェイスブックをしたり。こういった職場だとは聞いていたが、初出社日からこの調子だとちょっと絶望する。

 

ホストファミリーはあまり干渉してくることもなく、家の設備も最高に良いので恵まれたのだろう。ただし、男どもは親戚含めタバコ、ビートルナッツ、酒、大麻がコミュニケーションツールで、女とヤる話しかしない。これには本当に嫌気がさす。

 

英語は全然通じない。とにかく相手の言ってることが聞き取れないのだ。自分が訓練で少し自信をつけていたのがまためんどくさくて、変なプライドが邪魔する。相手のレベルに合わせた話し方をするのもやりたくなくて、相手が理解できないようなスピードや単語で話していることにもこの時は感じていなかった。どんどん人と話したくなくなって、最初の2週間は部屋にこもっていることが多かったし、なるべく人に話しかけないで自分で解決しようとしていた。話しても前述のような話ばかり。でも考えてみればこんな退屈な閉鎖的な島にいたらあれくらいしか楽しみがないのだろう。

 

先輩隊員がいないというのもつらかった。誰も頼れる人がいないというのは心細い。現地の人ともうまくコミュニケーションとれないし。

 

この時期は「こんなはずじゃなかった」という気持ちが抑えられなくて、ものすごく落ち込んでいた。すでに任期短縮を考えるくらい笑

英語を勉強しにきたのにこれじゃ2年いても意味がない、、、

公用語が英語なんてのは嘘で全然できないじゃないか、、、

結局現地語でコミュニケーションするのか。そんなの勉強してなんになる?

この環境下で2年いたら自分の仕事スキルはどうなってしまうんだろう。職場に戻れるだろうか、、、

インターネットが遅い、、、

 

そんなのばっかりで、今振り返ると笑えるが、本気で落ち込んでしまっていた。自分の嫌いな部分だが気分の浮き沈みが極端なので、この時はもう戻れなくなっていた。

 

チュークの人は温かいとか、先輩隊員や旅行者は言うけれど、俺は同意できない。というのは人というのはどこに行ってもそうだから。日本だろうが田舎だろうが途上国だろうが、どの世界に行っても人は温かいことを俺は知っている。だからこそ、逆に冷たい目で見てしまうひねくれた自分の思考に嫌気がさす。

 

そんな状態を改善してくれたのが、日本から来た小学生の体験交流と青年海外協力隊の同期たちだ。

 

体験交流にきた子どもたちはめんどくさい子供ばっかりだったけど、あの子たちに何も教えられない自分を見て、意欲が湧いた。末永さんからたくさんのことを教えてもらったのも大きい。この人と一緒に過ごせるんだ、と思うと楽しみになった。子どもたちに帯同していた大人のスタッフと仲良くなれたのが大きかった。自分にとっては最初の仕事だったので、2年間でも思い出深くなるだろう。

 

俺だけみんなより早い進行だったので、同期隊員たちのSNSでの投稿と言えば楽しそうに同期と盛り上がる写真ばかり。「なんで俺だけ」というアホみたいな感情で一人で勝手につぶれていた。でも彼らもホームステイが始まったり、職場での挨拶が始まったり、つらい思いをしていることを知れる投稿が増えて、それらに立ち向かっていく姿勢に元気をもらった。個人的に連絡をとった同期からも心配してくれたり、励ましてくれたり、元気をもらった。

 

そうやって、少しずつ元気になってる中にチュークOBの先輩が率いる、八王子市チームが来た。俺の2年間で先輩隊員に会えるのはこれが最初で最後かもしれない。仲良くなれるか不安もあったけれど、そんなのは杞憂で、本当にお世話になった。活動についていくだけで、実際にこんなことができるんだとか、彼の姿勢、態度、接し方を見て「ああ、こうすればいいのか。簡単じゃん」と学ぶことも多かった。チュークでの2年間の話や、仕事の話、ホストファミリーとの接し方を聞いて、自分がどうするかイメージもついた。

 

そのタイミングで今度は9月にファムトリップが行われるから帯同してほしいとも職場から言われ、無理矢理にでも職場の人とコミュニケーションを取る必要が出てきた。ファムトリップは楽しみだし、また日本人とたくさん話せるのが楽しみだ。仕事へのやる気も少し出た。

 

結局は慣れていなかっただけだし、身体もついていっていなかったのかな。未だの夜は暑いしベッドがあわないしハウスダストでつらいからしっかり寝れないけれど。

今は気持ちも落ち着いている。うん。立ち直れたかな。しばらくはこれで大丈夫そうだ。

 

ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると、嬉しいです。

 

にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ
にほんブログ村